人種や民族、文化などによる差別を無くしたい。 国や文化のちがい以前に「みんな同じ人間なんだ」と気づいてほしい。 多文化共生の実現に向けて活動しています。 I want to make our society accept / embrace diversity no matter what kinds of background, culture, nationality and religion we each have.
25 Sept 2015
平和ボケした「純粋な日本人」
内容としては、筆者が過ごしてきたアメリカでの、
白人が有色人種に行う差別の事例を挙げたものです。
日常生活に始まり、職場での人種や女性差別、
メディアやハリウッド映画界での人種差別も取り上げています。
そして、その一方で、この白人至上主義的な考えは、
そっくりそのまま、
日本の中での、日本人が行う外国人への差別、
自民族中心主義に置き換えられるというのです。
私はその切り口に、非常に興味を抱きました。
筆者の取り上げている事例の信憑性や、主張の是非を問いたいわけではなく、
私はこの本を読んで、自身を見直す機会になったという意味で、
とても為になった本だと思っています。
以下、私の反省と、意見です。
反省① 「私は平和ボケしていた」
まず私は、差別をされたと感じた経験がありません。
知らず知らずのうちに、女性差別的な発言をされたことはあったかもしれませんが、
ほとんど気にしてない為、記憶にすら残っていません。
人種差別に関しても、
自分が日本人の両親から日本人として生まれ、日本人として育ったので、
日本にいる限り差別される機会もありませんし、
海外旅行や短期の留学に行った時も、
お遊び程度の滞在だったので平和に過ごして帰国しました。
なので、差別される気持ちが本当はどんなものなのかも知らずに、
多文化共生を呼びかける私は、「平和ボケ」していたと感じてしまいました。
もし自分が、アメリカやイギリスなどに行って、
実際に、アジア人・日本人というだけで差別を受け、命の危険すら感じたりした時には、
立ち直れないくらいのショックを受けるかもしれないなと思いました・・・。
ただ、それと同じことを、私たち日本人は、
現に中国人や韓国人にしてしまっているということを忘れてはならない。
引き続き、
何が世の中で起きていて、どんな思いをしている人がいるのかという事に耳を傾け、
痛みを自分のものとして感じ、一緒に解決を目指していく行動を取る、
という私の立場を取りたいと思います。
そして、もし海外で自分が差別される経験をしたら、その感覚を心に刻み込みたいと思います。
反省② 「"純粋な日本人"ってなんだ?」
よく私たち日本人は、「ハーフかと思った~」なんて言われたり、
何か日本人という定義のようなものから外れたようなことを言われると
「いやいや、純粋な日本人ですよー!」
という返しをしているのをしたり見たり聞いたりしていると思います。
今まで、私もなんの疑問も持ちませんでしたし、
ある意味その言葉には、
日本人であることを誇示しているというよりかは、
残念ながら日本人の血しか持っていないんですよ、
というへりくだりの気持ちが入っているようにも思えます。
しかし、この事象には、実はツッコミどころが満載で・・・
1、「ハーフ」=目の青い白人との混血 、というイメージが90%くらい
2、そもそも「(純粋な)日本人」の定義とはなんだ?
3、仮に「ハーフ」でなくて、「純粋な日本人」であっても、期待外れではない
そうは思いませんか?
「ハーフ」という和製英語にも疑問がありますが、
その「ハーフ」にもいろんな人種の人がいることを忘れてはいけないと思います。
さらに、白人との「ハーフ」なら、何か特別というわけでもないのです。
また、華やかなイメージがありそうな「ハーフ」の人たちは、
その裏で、
国籍が両方あったり、
見た目が日本人顔でないがゆえに、なんとなく外国人扱いされたり、
でももう一方の国でも、その国の言語が話なせなかったりするがゆえに
同じように外国人扱いされ、
そして、いじめられ・・・
自分は何者なのかと悩むことが多いそうです。
日本で生まれ、日本で育ち、日本の教育も受けているのに、
見た目が異なるがゆえに、「純粋な日本人」ではないとされる。
そう、私たちが考える「純粋な日本人」とは、
日本人の両親のもとに、日本の生まれ・育ち・国籍を所有している
という条件が整わないと、認められないようです。
「日本人に見える」条件が必要なのです。
ちなみに、「純粋なアメリカ人」といったら、白人を思い浮かべますか?
実際のアメリカは今、白人の割合は7割を切っているそうです。
そうなると、残りの3割はアメリカ人ではないと、言いきれないですよね。
見た目で、アメリカ人かどうかも、分かりません。
このように、無意識に○○人と定義しているものを
一度考え直すきっかけとなる出来事も起こりました。
昨年、2014年のミスユニバースです。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/03/26/miss-universe-japan-not-japanese-enough_n_6952690.html?1427434676
http://www.huffingtonpost.jp/2015/03/26/ariana-miyamoto_n_6952598.html
こちらも、見ていただきたいです。
https://www.youtube.com/watch?v=6j_wQQZY-OE
今まで当たり前のように思っていた「(純粋な)日本人」という定義を
もっと柔軟にしていく時期が来たようです。
ただ、差別というものは、初めからわざと敵を作ろうとしているのではなくて、
自分の存在の確約が難しくなってくると、自分と他を明確にして、
自分を守る為に、他を排除しようとする心の表れだということも事実です。
また、「ハーフ」というようなある意味どっちともはっきりしないものを、
人は白黒つけたくなるものです。
人間の心の働きではあるので、そうした思いが生じてしまうのは
実は仕方がないと思います。
ただ、そこをどう理性を働かせて、バランスを取っていくか、
相手の気持ちになれるか、ということがより豊かな人間らしさになるのではないでしょうか。
一緒に目指していきたいですね。